至高的メンヘラ生活

不定期更新。OD記録、心情、昔話

あつまれヤニカスの森

こんにちは。
やることがなくなってしまったので昔話と考えでも書いておきます。



私の3歳から6歳ぐらいのときのパパは荒れている人でした。釣りとゲームが趣味で優しいときは優しいけどたまにカッとなって色々なものに当たるような人でした。
パパが私のことをうるさいと思ったのか、よく私は押入れやクローゼットの中に閉じ込められていました。暗くて怖かったです。


ある日パパに怒られて、パパは喫煙者だったので私の右手首に根性焼きをしてきました。あつくて、火傷をしたのが始めてだったのでどうしたら良いかわからなかったのを覚えています。
すぐ後頬を叩かれ爪が頬に刺さりました。
その時の根性焼きの痕と頬の爪痕は今も残っています。

そのパパが吸っていた煙草はマルボロの赤だったと思います。だから赤マルは今でも少し嫌なイメージです。


肉体的に来たのはこれで、精神的にキツかったのは誕生日に買ってもらったかわいいお洋服を捨てられたことでした。
家はお金に困っていたわけでもありませんが、私にとって誕生日に買ってもらったその服はすごい気に入っていて毎日着たいぐらいでした。
でも跡形もないぐらいビリビリにされてもう着れそうにはなかったので諦めました。



6歳ぐらいでそのパパとはさようならして、2人目のお父さんができました。
そのお父さん、結婚したのはいいのですがすぐ単身赴任で東北の方に行ってしまい実質私のことを世話してくれたのはその弟でした。つまりおじさんです。


おじさんはロリコンで気持ち悪かったです。
一緒に寝たときは色々なところを触ってきました。
でも私も嫌とは言えず(かなり世話をしてもらっていました)これもしょうがないのかな、私がなにか駄目なことをしたからかなと思うようにしていました。
生々しい言い方になってしまいますがおじさんと本番はしていなかった(記憶の中では)のが不幸中の幸いだったと思います。

お父さんはストライク、おじさんはメビウスを吸っていました。部屋が大体煙草臭かったのはいい思い出です。
だからメビウスもなんとなく嫌いです。



お父さんが借金をし始め、私が中学生の時に2人目のお父さんともさようならしました。
このくらいの時期でおじさん&お父さんと離れられてよかったと思います。

3人目の父はヤニパチンカスですが暴力したり薬やったりしないし、酒クズでもないのでうれしいです。マルボロメンソールを吸っています。
今もこの人です、前に比べればかなり幸せです。

でもこの幸せもいつか歯車が狂って崩れるんだなと思うと怖いし、その前に死んででもして逃げたくなるけど、そう怖いとか逃げたいっていう気持ちは人間らしい考えなんです。
親からの暴力や親戚からの性暴力を「しかたない、私が悪い」と思っていた私にとっては見方を変えてみればいい成長でもあります。


私のメンヘラの原因は今までの家族のことだけではありませんけど、こうして振り返ってみると当時の私は頑張っていたんだなぁと思います。いつか昔の自分が癒されて昔のクズ達も許せるようになりたいと考えています。
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